お話をうかがった方:
篠原郁子さん(立命館大学 産業社会学部 教授)
乳幼児期の社会情緒的発達を中心に、親子関係、幼児教育・保育の研究を行う篠原さんに、親子の絵本の時間について発達心理学の視点からお話を伺いました。
※本稿はブックスタート・ニュースレター 2025春夏号(2025年4月発行)より転載したものです。
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絵本しか読めなかった自分
「親子の絵本の時間」と聞くと、楽しく幸せな場面が思い浮かびます。でも、私がまず思い出すのは「絵本しか読めなかった自分」なんですね。娘が1歳の頃、お気に入りのネコのぬいぐるみをなくしてしまって、どうしても泣き止まないことがありました。何をしても落ち着かず、万策尽きて無力感でいっぱいになったとき、ふと手に取ったのが絵本だったのです。泣き止まない子どもと絵本をひらいたとて、最初は目も向けてくれません。でも、声をかけながら読みすすめていくうちに、少しずつ絵本に目を向けてくれました。ついさっきまで自分には何もできないように思えていたけれど、私が絵本を読む声やページをめくる手に、いくらかでも、この子のためにできることがあるのかもしれない……そんなふうに感じられた出来事でした。
「自分には、力がある」と思えること
子どもと大人の関係のひとつに、「アタッチメント(愛着)」があります。子どもは、不安なとき、怖いときなど、感情がネガティブな状態にあるときに、自分よりも大きく強く優しく賢い存在である大人にくっつきます。「大丈夫」という気持ちを取り戻したくてくっつき、大人と一緒に心を整える営みがアタッチメントです。
しかし親にとって、そんな「大人」の役割をいつも完璧にこなすのは、実際はとても難しいですね。「安心させてあげたい」という思いをもってはいても、その術を知らないとか、自分の関わりに自信がもてない親はいるでしょう。そんなとき「自分には、力があるんだ」と気付かせてくれるもののひとつが、絵本かもしれません。
親子の時間は、楽しいときもあればうまくいかないときもあります。それは、人生も同じですね。だからこそ「何かがあっても大丈夫」という心持ちを、子どもにも親にも育みたいと思います。そうした感覚が、前向きな見通しをもち、幸せを感じながら生きることを、支えてくれるのではないかと思うのです。
誰かに心を思ってもらう体験を
「メンタライジング」という考え方があります。これは「心で心を思うこと」、つまり、自分や誰かの心を、自分の心を使って考える営みです。
絵本は、一緒にひらいて子どもと関わる中で、「このページが好きなのかな」とか「この場面はちょっと怖いらしい」など、子どもの心を思い、気持ちを汲み取ろうとする営みが生まれやすいものです。その意味で、親には「子どもの心を思う」体験を、子どもには「誰かに心を思ってもらう」体験をさせてくれるものかもしれません。多くの親が日頃から「こうかな」「ああかな」と子どもの気持ちを自然に気にかけていることと思いますが、実は、子どもはそんな何気ないやり取りから「自分の心をこんなに一生懸命思ってくれる人がいる」と感じ取っています。 だからこそ「それってすごく価値のあることで、今日も明日もまたやっていきたいことだよね」というメッセージを、ブックスタートで届けられるといいですね。
一方で、親の中には、誰かに自分の心を思ってもらう経験をしてこなかった人や、子どもの心を気にかけることが辛く、目をそらすことで自分の心を守ってきた人もいるかもしれません。まずはお父さんお母さん自身の心を、思ってもらう経験を届けるということも大切にしたい視点です。
ブックスタートは地域の人々が、「ここに、あなたとお子さんのことを思っている私がいますよ」と伝える場になっていると思います。そのことはきっと親の力となり、子どもの育ちを支えることにもつながるのではないでしょうか。